2018/02/03

本蓮沼に沼はない

東京古道散歩の日。
今日のテーマは江戸時代の中山道と室町時代の志村城
場所は板橋区。東京23区の北の端。中山道は板橋宿から北へ約一里の場所。
ここを超えると戸田の渡しで埼玉県である。

路面状況が思ったよりよくて予定通りのコースをほぼ辿れました。
よかったよかった。


集合場所は「本蓮沼」駅。このあたり本蓮沼(「ほんはすぬま」、ではなく「もとはすぬま」)。
でも地形図を見るとわかるけど、ここは台地の上で「沼」なんてどこにもない。
そのはず、もともとの蓮沼村はもっと北の、荒川(当時は入間川)の低地に
戦国時代に拓かれた村だったのだ。
明治の地図を見ると、蓮沼氷川神社旧地がしっかり描かれている。

江戸時代(17世紀後半から18世紀前半あたり)、
蓮沼村があまりに洪水が多いってんで
現在地に氷川神社や南蔵院ごと移転したあと
神社旧地に宮だけ残したのだそうな。
旧地あたりは思い切り沼ですな。


よく、家を建てても安全な場所かどうかは地名をみるとわかる、といわれる。
蓮沼って致命的には低地ぽくて地盤が悪そうだけど、
上記の理由で元の村名と一緒に移転してきただけので、
地名は「沼」でも沼でも湿地でも無い安定した台地なのだ。

古い地名をみると地盤が分かるってのも、頭から信じてはいけないのである。
いろんなケースがあるのだ。

で、江戸時代は本蓮沼から元蓮沼村の農地まで農耕にでかけていたらしい。
たぶん、台地のキワは志村と小豆沢村がすでにあって、移転先は今の場所しかなかったのだろうなあ。幕府的には中山道沿いの方がありがたいし。

旧蓮沼村のうち、上蓮沼は根葉村とくっついて「蓮根」となった。ここは微高地で、今でも残ってる。

いやあ歴史って掘り下げると面白いわ。

ひととおり回って解散したのち、
有志4人で総泉寺へ。

志村といえば清水観音。
清水観音は大善寺というお寺の本尊だったわけだが、
大善寺は浅草方面からやってきた妙亀山総泉寺に吸収合併され、
いつしか亀だらけになりましたとさ。
この妙亀山ってのは、隅田に残る梅若伝説に関連した山号で
梅若の母親が妙亀尼といい、池に身を投げて死んだという伝説があって
それは浅草の北、浅茅が原の話なわけで、
それが板橋区に来ちゃうと話が通じなくなってややこしい。



歴史は掘れば掘るほど面白い。

夜、家に電話をしたら晩ご飯はまだ食べてないというので
スーパーで恵方巻を買って帰る。
楽でいいわー。
しかも普段は出てこない海鮮をふんだんに巻いた贅沢な太巻きが
安く(2/3の夜だと半額になってるので)買えるのでお得なのである。

もちろん、恵方を向いたり丸かじりしたりせず
普通に包丁で食べやすく切って
おいしくいただきました。




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