2017/08/25

アルルで猫。西向天神で紅皿の板碑。

新宿にある都恋堂で打合せ。
そのあとちと時間があいたので
一度行ってみたかったカフェアルルでランチ。
猫が2匹店内を散歩してるのである。


ゆっくり猫を撮らせてもらいたかったけど、
けっこう混雑してたので断念。
猫と昭和っぽい喫茶店目当てではいったのだが、
お手洗いには数枚の藤田嗣治のリトグラフが。
思わぬ出会いにトイレでまじまじと観てしまった。
いつかちゃんと取材したいお店。


ここまで来たのだからちょっと足を伸ばそうと
暗渠っぽい道を北上。

少し北にある西向天神社へ。


西向天神は鎌倉時代創建。
富士塚はあるわ、中世の板碑(紅皿の墓といわれてる)あるわ
ほどよい崖の上にあるわでいろいろと歴史的に興味深い場所。


芳賀善次郎氏はこの崖下の道が渋谷→原宿とつながたってた鎌倉街道だというけれども、
谷地だから地形的にどうかなあ、
でもわざわざ「西向」って名前がついてるくらいなので
(神社は特に理由がない限り、南か東を向いてる)
「西向」であることに意味があるのならアリかもしれないし、
中世の頃は西向天神の境内の前(つまり台地の端)を
道が通って山吹坂に通じていたのかもしれないし
(新宿中学校内を北上した感じ)、
今の道は当時はもうちょっと高くて崖下の微高地だったのかもしれない。
ただ、鎌倉街道と芳賀氏がいう道は、明治初期の地図にはのってないので
なんともいえんのです。

詳しくは↓の地図を。
蟹川は歌舞伎町あたりが源流で、
ここを北上し早稲田の穴八幡前を抜けて神田川に注いでいた。

カシミール3D スーパー地形セットより
紅皿というのは、この辺に伝わる室町時代の女性。
太田道灌の山吹の里伝説において、雨具を求める太田道灌に山吹の枝を渡した女性。
彼女が紅皿で、のちに太田道灌の歌友となり、同感亡き後は出家、
その墓がこの板碑なのだという。

史実かといわれるとまあアレなのであるが、
西向天神が鎌倉時代創建であること、中世の板碑が残っていること、
渋谷→原宿→鳩森八幡→面影橋→宿坂→十条とつづく鎌倉街道のちょうど道筋にあることから
要注目の場所なのは確かだ。

次の予定が近づいてきたので
そのまま南下して太宗寺経由で丸の内線へ。

都内某社で某な某。

続いて神保町のインプレスへ行って打合せ。

真面目に働くと疲れます。

帰宅して、e-mansionの連載を書く。
ちょいとWindowsマシンのスクリーンショットが必要で、
しかもWi-Fi絡みのスクリーンショットなので
OSX上のParallelsに頼るわけには行かず、
古いWindows機を引っ張り出したら長く放置しすぎてて
時計を維持するバッテリーが切れてて
当然ながらWindowsのアップデートも山ほどきてて
そこで一番時間を取られる。
でもなんとか朝までかかって書いてメールして寝る。





0 件のコメント: