2017年6月14日水曜日

カメラグランプリ受賞記念でオリンパスの「瑞古洞」へ大人の社会科見学

街歩き仲間のHさんが、カメラグランプリ2017受賞記念ということで
オリンパスの技術歴史館「瑞古洞」へ行きませんかといったのは先月のことだったか。
平日しか開いてないのだが、街歩き仲間関連だけで10人集まる。
……そのうちふたりは有給を取ってきたらしい。

京王八王子駅前からバスで現地へ。

瑞古洞はオリンパスの八王子事業所内にある。
中は撮影禁止なので入口だけ。


これがなかなか面白い。
もともとは国産顕微鏡を開発するために立ち上げた「高千穂製作所」で渋谷区にあった。
日本の高千穂はヨーロッパでいえばギリシャの神々がいた
オリュンポス山だなってことで
オリンパスへ……。そんな経緯だったとは。

そこからカメラや医療関係へ伸びていったのだ。


顕微鏡・内視鏡・カメラ・その他(ICレコーダーとか)
それぞれの歴史と、歴代の製品+最新モデルを案内してもらう。
一番勉強になったのは内視鏡関連。
普段知らない世界を垣間見られるのはいつでも楽しい大人の社会科見学である。

ちょうど「オリンパス一眼レフの夜明け前」企画展があったので
OM-1の前身となった、MDNシステムをガラス越しにみる。
製品化されないで終わったので知らない人の方が多いと思う。
カメラを徹底的にモジュール化しようという面白い試みだ。
シャッターユニット、フィルムユニット、ファインダー、レンズ。
さらにモードラ。
フィルムユニット(マガジンといった方がいいか)を換えることで
パトローネにはいった35mmフィルムもロールも使えるし、
ファインダーもペンタ部ごと取り替えることで好きなものをつけられる。

で、その派生品としてOM-1は誕生したのだ。

実は高校生の頃一番欲しかったカメラがOM-2で。
あれ、小さくて操作系がぎゅっと集中しててよかったのだよなあ。

2時間以上お邪魔して、
いざ帰ろうとすると、敷地内に神社発見。
そもそも街歩き仲間なのでそういうのを面白がる。
参拝してみると、その名も「高千穂稲荷」。
高千穂製作所の高千穂だ。


渋谷区の工場から持ってきたらしい。
よく見ると、渋谷工場云々と彫られた灯籠もあった。
こういうところに歴史は隠れているのですよ。

オリンパスの八王子事業所から八王子駅まではけっこう距離があるのだが、
もちろん歩くのである。
そういうメンバーだし。
わたしもあのあたりの甲州街道旧道を辿ってみたかったし。

仕事では何度も訪れている場所だが、
そういう散歩に付き合ってくれる編集者はいないので
一度歩いてみたかったのだ。

そしたら浅川が削った斜面に日枝神社発見。



もちろん階段を上る。
社殿が東を向いてるのが気になるがまあそれはあとで調べよう。

台地上からぐるっと回って階段と坂を下りて見上げると、
本殿がヤバい感じに。
この崖、最近崩れたっぽいねと誰かがいう。


坂の下には
庚申塔や高幡不動の石碑。

もとからここにあったのか、甲州街道拡幅にともなって
移動してきたのか。後者かな、という気はする。

途中、甲州街道の旧道が残っていたのでそちらへはいる。
左側に暗渠がある。街道沿いに水路が通っていたのだろう。
この残された旧街道感がなんともいえない。



この水路はいったん道路から離れるが、
しばらく歩くとまた別の水路が現れ、甲州街道を横切っており、
橋もかかっている。
この水路、どう流れていたのだろうと振り返ると、

水路が右にカーブして街道から離れていくあたりに石仏群発見。
逆方向から歩いてきたから気づかず通り過ぎるところだったわ。


真ん中のふたつはぼろぼろで詳細はさっぱりわからないのだが
馬頭観音とお地蔵様か観音さまのようだ。

馬がこのあたりで水路に落ちて死んだとか、
何かあった場所なのかもしれない。あるいは集落の境界か。
さすがに八王子のことはよく知らないので想像で。

浅川の橋のたもとで現甲州街道と合流するが、
橋を渡ったらすぐまた旧甲州街道は分かれる。


旧甲州街道は八王子宿の直前で大きくクランクしているのだ。
宿場クランクである(今勝手に名づけた)。
旧甲州街道を歩いて行くと、さらに旧道にわかれる。
古道三叉路である。
不自然に分かれてるところがたまらんですな。

旧道を進むと奥に森が見える。
そこは神社。
甲州街道の一里塚(日本橋から四里目)とその横に稲荷神社がある。
竹の鼻の一里塚といったらしい。

古地図を見ながら
旧街道沿いに歩く。
名残はほとんどないが、ときどき旧家が残っている。
これは「飯塚絹燃株式会社」跡のようだ。

八王子が絹で発展したときの名残。旧街道沿いならではの物件である。

そして今の街道に出て、
大鳥神社・子安神社と経由して解散。

子安神社はいついっても面白い。
何しろ奈良時代創建という八王子最古の古社。
東京都八王子市最古の神社 子安神社
安産の神様。


ここ、ちょうど台地のキワにあたり、社殿の右手はちいさな崖になっていて池がある。
今はどうかしらないが、水が湧いていたのだろう。
かつて浅川が削った崖の上にあるのだ。
奈良時代まで遡れるかは別にして、
その当時、このあたりに集落があったかどうかも別にして
神社がおかれても不思議のない場所ではあったろう。
調べてみたら、八王子駅の南側(子安町)では平安時代の住居跡も見つかっているそうなのでこの辺も掘れば何か出てくるかもしれない。



2017年6月13日火曜日

写真見てたらしょぼしょぼぼぼぼボボボーボ

ああ、びゅうたびの原稿も書かなきゃいけないし
明日出かけるのであれもこれも早めにやっとかなきゃ……
というわけだが、
2500枚撮った中から使える写真を選ぶだけで目がしょぼしょぼしてきたので
諦めて寝る。
とりあえずLightroom使って1/10に絞った。
うーむ。RAWで撮ってるから動作が重い。
iMacを買い換えろということか。
買い換えてもそんなに変わらん気がする。どうなのだ。
ちなみに今使ってるのは
iMac(late 2013)。つまり、Retinaになる直前のモデル。
Core i7にしてメモリは16GB。
とりあえず5年は使うつもりなのだが。

話もどって、
さらにこれを1/10くらいにした方がいいよなあ。
写真が多すぎると冗長になるしなあ。

最近、どこもかしこも無駄に写真多すぎ。
撮った写真をできるだけ使いたいのはわからないでもないが
似たようなカットをだらだら流すより
必要なカットを厳選して、
その代わり傾きを直したりトリミングしたり色や明るさを補正して
1枚あたりのクオリティをあげてほしいわ。
でなければ、カメラマンを雇いましょう。


2017年6月12日月曜日

月曜日は休息日

やることはいっぱいあるのだが
さすがに土日歩いて疲れましたわ。
というわけで、家で地味に働いたりブログ書いたりさぼったりする。
ITMediaにiPhoneカメラ講座をひとつ書いてメール。

ちょっと毛色が違うマークアップの話。
iOS11でもっと実用的になるといいなあ、マークアップ。


2017年6月11日日曜日

午後は西新宿史跡地形散歩なり

ランチ後、
まだ昼間なのでちょいと歩きましょうとなる。

街歩きが好きな仲間達なので歩くのである。


熊野神社(熊野十二所権現)を皮切りに、
話題に出た成子天神、
そして十二所権現を勧請した中野長者鈴木九郎の居館跡という成願寺。
西新宿(角筈)から中野(本郷)へ渡る散歩である。

・熊野十二所権現

室町時代、紀州からこちらへやってきた鈴木九郎が
氏神の熊野神社を祀ったのがはじまり。
十二社の池も熊野神社の土地だった。

マニアックな連中なので「熊野神社の滝はどこにあったか」という話題になる。
十二社の池は江戸時代から行楽地だったが、その目玉のひとつに「熊野神社の滝」があった。
その滝はどこにあったのか。
実は候補が複数あってわかってない。
ひとつは熊野神社と中央公園(旧六櫻社)の間を南北に流れていた上水。
南の玉川上水の余水を北の神田川(神田上水)へ流していた。
その水路から神社境内へ落ちていた水じゃないか説。
わたしもそれだと思っていたら、明治初年あたりの熊野神社の絵図をみると
違うところに滝の絵がある。
熊野神社の西から池に向かって滝が描かれてるのだ。
確かに高低差はあるけど、ここに水が湧くの?
その地図がこちら。
地図には角筈村とある。角筈という地名は後北条氏の書状にあるのが初出のようでその頃にはあった地名だが由来は不明。

角筈村熊野神社絵図面。国立国会図書館デジタルコレクションより。

この絵図だと神楽殿の裏辺りなので、今ならさしずめここか。

うん。確かに滝があってもおかしくない高低差ではある。

熊野神社から水路跡の暗渠をちょっと歩き、
途中で右折して成子天神へ。
途中、地蔵に立ち寄るのは必須。

・成子子育地蔵



成子坂。この地蔵尊が建てられて以来、地蔵坂とも呼ばれたという。
お堂にはいってる子育て地蔵より、その足下にあるちいさなお地蔵様の
無造作さが好み。
松本さんにここの由来を教えてもらう。
中野に住んでいた貧乏な百姓の父子がいて、その子は江戸に奉公にいっていた。
その里帰りの日、息子を出迎えてやりたいが貧乏なので何もない。
そこで青梅街道を通る旅人を襲って金品を奪いそれで息子を出迎える支度をしようと考えて坂に隠れ旅人を殺して荷物を奪ったが、実はそれが帰ってきた息子だった、
というような話。
それを聞いた村人が憐れんで子育地蔵を建てたという。
まあ、なんというか、ありがちな説話なので信憑性は低いが、父子に関するエピソードがあったのでしょう。

・成子天神

成子天神。つい最近再開発プロジェクトでタワーマンションに囲まれたモダンな神社になったが、氏子たちへの説明が足りなかったこともあり、いろいろと揉めた(揉めてる?)らしい。
参道に古い水準点あり。

まあ神社が時代に合わせてモダンになるのは東京らしくていいと思うのだが(その代表が赤城神社。あれはけっこう好き)氏子と揉めてはいかんわな。
ここには富士塚がある。
再開発以来、誰でも上れるようになったが、
南と西が高層マンションなので眺望はアレである。
望遠レンズのついたカメラを持って登頂したら、盗撮を疑われるレベル。
いやそもそも望遠レンズを持ってここに上る時点でアレなんだが。


・淀橋咳止地蔵尊

成子天神の裏手あたりにもうひとつ地蔵尊がある。
せき止め地蔵尊。もとは神田上水の水を「せきとめる」ところから来てるんじゃないかという。

ここの地蔵尊は初訪問。うれしい。上記写真右手の細い道が古い道。

地蔵尊のとなり、ちいさなマンションの片隅に稲荷の祠あり。
ここ、最近道路が拡幅されて整備されたのにともない屋敷稲荷が遷ったか。
絵的に面白かったので撮る。


・淀橋

淀橋で神田川を渡ると中野区である。
青梅街道を少し西へ向かって坂を上ると、製粉会社が有る。
昔は大きな製粉工場だったのだろう。神田川の水車で製粉してたのかもしれない。
マンション兼製粉会社。その前に工場で使われていたとおぼしき大きな石臼がある。
そのマンションの名が「マンション ストーンミル」。
かなりツボにきた。石臼マンション!


・成願寺

青梅街道から南下すると山手通り沿いに成願寺。
中野長者鈴木九郎の屋敷跡で九郎が娘のために建てたという曹洞宗のお寺。
中野長者にまつわる伝説があり、
骨子は
紀州から鈴木九郎がやってきて土着した→神田川沿いで馬を育てた→葛西へ馬を売りに行く途中浅草の観音さまにお祈りした→売り上げを全部観音さまに寄付した→一文無しで帰宅した→その御利益でお金持ちになった→娘が病気になった→相模国から高僧を呼んだ→帰依して成願寺の前身が作られた
というところ。
その途中途中で、
中野長者が稼いだ金を下男に持たせて誰にも分からない場所に埋めた→埋めた場所を知ってる下男を殺した→行きはいたのに帰りはいない→その橋を姿見ずの橋という→縁起が悪いというので淀橋となった
とか
中野長者の悪事のせいで娘が婚礼の直前に蛇になり、相州から高僧を呼び、その値からで蛇は死んだ。
その蛇は十二社の池に飛び込んだ
とか
いろいろと話が膨らんでる。
「伝説と史実のはざま」という研究書で中野長者伝説について考察している。
どうも「中野長者伝説」と「蛇池の伝説」の2つの話がどこかでひとつになったんじゃないかという。
この本、めちゃ面白い。
中野区に残る伝承を元に、史実と伝説の関係を考察した本であり、
中野区の郷土史に興味ある人は必見。

成願寺の南に明治時代の道標があることを教えてもらう。
成願寺は何度も来てるのに今まで気づかなかった。
ショック。
左十二社、向淀ばし、右掘之内
と書いてある。

なお成願寺があるのは「本郷村」。中野郷の本郷があった場所といわれており、もともとの「中野」はこの辺だったのかもしれない。

・中野と渋谷と新宿の三区境

長者橋を渡り、再び西新宿方面へ。
西新宿在住のK女史がここの坂を味わってもらいたいという。
往古、蛇行していた神田川が削った崖がいい味わいで残っている。
神田川の低地、細長い舌状台地。その向こうに都庁とタワマン。

さらに傑作はこの坂。
斜度といい曲がり具合といい味わい深い。

上るとこんな光景である。
ちょうど空き地があり、崖下の家々と遠くの高層ビルが一望できる。
この対比が東京の面白さ。

別の坂から台地を降りる。
そこから見える丁字路が三区境。
崖の上が渋谷区。丁字路の奥が中野区、手前が新宿区である。


このあと西新宿五丁目駅入口で解散。
京王線組は神田川笹塚支流暗渠に沿って少し歩き、
南下して初台駅へ。

地図はこちら。
Parallels Desktop + Windows 10 + カシミール3D
新宿のような身近な場所でも歩き直すと発見は多々あるものである。

帰宅して、MONOQLOのミラーレス一眼の記事を書いて
寝る。


西新宿。あるいは角筈村十二社、あるいは新宿区十二社

朝、十二社の「味陶庵志奈川」に集合。
ここの品川さんが十二社の昔話を聞かせてくれ、近所を案内してくれるというのである。ちょっとしたマニアックな、
でも錚々たるメンバーによるちいさな集まり。

西新宿。
都庁の西に新宿中央公園や熊野神社があり、
その西に十二社がある。
十二社と書いて「じゅうにそう」と読む。
もともと「十二所権現」だったのが、徐々に「じゅうにしゃ」→「じゅうにそう」に読みが変わっていったんじゃないか的なアレだ。
江戸名所図会にはすでに「世人、誤って十二そうといふ」とある。

左が大正時代。右が今。
大正時代の池はそれに沿った道路と熊野神社だけを残して見事に消えた。

かつて熊野神社の西には池が2つあった。
北の池が下の池、南の大きな池が上の池。
南の池がちょうど谷頭からの湧き水でできていて、
江戸時代初期にせき止めて作ったといわれている。
この池は江戸時代は熊野神社とともに行楽地として
明治から昭和は遊興地として栄えた。
船にはボートや屋形船が出て、
池の西側に料亭では池を観ながら飲食などを楽しめ、
池の南東には桜山、その南には梅園があるという具合。

池は高度成長期になるとどんどん縮小され、
やがて土地が売られ、埋め立てられ、ビルやマンションになった。

そんな十二社で古くから飲食店を営んでいる品川さんに
往年の十二社の姿を伺いつつ、
当時の名残を残す建物を案内してもらおうという企画だ。

お店で昔の地図や写真を見ながら
当時この辺りに店があってこのあたりに見番があり、
その上は高級住宅街で昔は別荘地で、という話を伺い、
散策へ。

池はなくなったが地形は残っている。

タワーマンションと稲荷。マンションができて稲荷がここに遷されたそうな。
EX-ZR4000の超広角はこういうときによい。
案内してくれる品川さん。谷地だったので短くて急な坂がたくさんある。
この塀は当時の名残。置屋さんだかなんかだったらしい。

説明を聞きながら写真を撮る面々。
谷と谷の間の狭い尾根に。
かつての池に降りる階段を下から。風情のある古階段である。
NTTの電柱番号。三業地だったためか、電柱にも三業支線とある。
この玄関も当時の名残。旅館?
スリバチ仲間。かつて池だった谷地がよくわかる。奥に見えているのは熊野神社の森。
かつて連れ込み旅館だった一直。今はシェアハウスだとか。
こちらは民泊。歩いている狭い路地はおそらく暗渠。池からの水が神田川に流れていた。
シェアハウスや民泊。当時の建物を活かすにはよい選択かと思う。
新宿からは離れるが、大江戸線の西新宿五丁目駅なら近く立地もよい。

そしてまた味陶庵志奈川に戻り、
熊野神社の裏話やら、成子天神の話やら
やはり我々がいくら文献にあたり、往時を想像しながら歩いても
地元に古くから住んでいる人のリアルな話には叶わないわけで
非常に興味深い話を聞かせていただいた。
ありがとうございました。
ああ、今回伺った話を、神社散歩本にも反映させたかったなあ。
一応十二社の熊野神社と成子天神も取り上げているので。

今回のカメラは
超広角の写真はカシオのZR4000。
そうじゃないのは富士のX-T2。

Xマウントの16-80mm F2.8-4.0(要するに14-120mm相当のレンズ)、出ないかなあ。
こういうときにありがたい。


2017年6月10日土曜日

「東京古道散歩」+寄木神社で鏝絵の日

東京古道散歩の日。


JR大森駅北口集合。
古代道路発掘の碑→日枝神社→大森不動尊
山王橋跡→暗渠→大森貝塚遺跡公園でモース
鹿島神社→光福寺→大井の井→西光寺
大井三つ叉→庚申堂(跡。建て替え工事のため今は更地)→大井町駅
ゼームス坂→ゼームス邸跡→品川銀座
天龍寺→願行寺のしばり地蔵→荏原神社→境橋(品川橋)→品川富士→品川神社
で解散。

距離の割に立ち寄り先が多くて
品川の古刹系はかなりスルー。

品川宿は江戸時代に東海道の宿場町として発展したのだが
中世には港町として賑わってた。
品川宿にある古社古刹はその頃のものが多い。
鎌倉時代創建の寺が普通に残っているのである。

有志7名で
うなぎのねどこに立ち寄って田邊さんにお勧めランチを教えて貰い、
パスタなどを食べる。
食後、時間があるという5名でおまけ散歩。
品川宿を歩くか目黒川旧河道沿いを歩くかと提案したら
目黒川がいいという声があり、
ならばあそこへ行かねばなるまいと
目黒川旧河道沿いにある寄木神社へ。

寄木は「日本国語大辞典」によると
水辺に打ち寄せられた流木。
社伝では、日本武尊が走水から房総半島へ渡った際の船の一部が品川に流れ着いたのでそれを祀ったのだという。
中世の頃何らかの流木が日本武尊伝説にちなんでご神体として祀られたのだろうか。
根拠はないけど。

旧社地は南品川。
江戸時代になり、現地へ漁師町が移されたとき一緒に遷座されたとか。
もともと品川湊は交易の要であり漁師町であったところ、
江戸時代に東海道が通され、宿場町として整備される過程で、
漁師たちは目黒川河口の砂州に移転させられたのだろう。
源義家が奥州征伐の折立ち寄って、奥州平定の帰途兜を奉納した伝説もあり。

この神社の本殿は、石造りの蔵。江戸時代のもの。
この蔵に江戸時代末期から明治時代の有名な左官にして鏝絵師の「伊豆の長八」による
鏝絵がある。
漆喰の鏝絵に絵の具で彩色したもの。
非公開なのであるが、
数人で観に来た我々を見つけた神社の方が拝殿を開けて
中を見せてくれたのである。

素晴らしい。
屋外にある鏝絵と違って保存状態がよく(昭和58年に剥離防止の処理をしたらしい)
絵の具の色も残っている。
左が天照大神と天鈿女命。右は猿田彦命。
天鈿女命のおっぱいが黒ずんでいるのは
江戸時代、村の女たちが乳の出がよくなるようにと願ってさすったからだという。

ああ、こんなよいものを見せてもらえるのなら、X-T2かE-M1 MarkIIを持って行くんだった。荷物を軽くしたいのと講師をしてると写真を撮れないので、
ZR4000だけだったのである。

品川には時宗の善福寺にも立派な龍の鏝絵が残されているが、
こちらは雨ざらしで修復されることもなく、
かなりヤバいことになってる。

その後目黒川旧流路に沿って歩き、台場跡をちょっと訪ねて
JR品川駅へ。











2017年6月9日金曜日

梅雨入りすると晴れるのはマーフィーの法則

夏な感じ。
ミラーレス機3台をバッグに突っ込んで
自転車で走りながらMONOQLO用の作例撮り。
あじさいの季節ですな。
夕方、機材返却。

明日の「東京古道散歩」の準備。


2017年6月8日木曜日

「くらしと測量・地図展」へ

午後、作例を撮りがてら新宿西口のイベント広場。
恒例の「くらしと測量・地図展」へ。
‎www.gsi.go.jp/common/000187643.pdf

展示をじっくり見るというよりは
知人が多く出展してるし
平日なのに知人が多く来場してるので
ほぼ立ち話で時間が過ぎていく。

仙川地図研究所
仙川地図研究所は「歩くせんがわ地図」という
手作りの街マップを発行しているんだが
今回はちょっと趣向が違う。
仙川地図研究所が根城としていた古民家カフェ「ニワコヤ」が
建て替えられるというので
その様子をデジタル化して残すプロジェクトの紹介。
ドローンで上空から撮影したり
(撮影はドローンの免許を持っている行政書士さんで、
 撮影許可も撮り、当日は警察へも連絡をきちんと入れている。
 行政書士としてドローン許諾関連の仕事をしていたところ
 自分でも飛ばしたくなり、講習を受けて資格もとったそうである)
古民家の室内を全天球撮影して
スマホでVRコンテンツとして見せたり
(撮影はちゃんとしたパノラマ写真家。
 天井や床の処理もしっかりしており、ハイクオリティな作品でした)
ニワコヤの見取り図の図面や模型を作ったり
(仙川地図研に仕事でジオラマ作ってる人や
 構造設計の図面を引いている人がいるのでこちらもプロの仕事)
となかなか面白い。
これ、IT系のメディアで記事にしても面白かったかもと今更ながら。


地球科学可視化技術研究所+ブルーオーシャン
たとえば、ブラタモリなどで時々出てくる立体地形模型はここの仕事。
こちらは箱根編で使われた立体地形図。

これの後ろにちらりと見えているのは立体白地形図?
真っ白な立体地形模型に上からプロジェクターで映像を投射することで
様々な立体地図に変身させられるというもの。
昨年は新潮講座でわたしも使わせていただいた。

シン・ゴジラの第2形態が3匹ほどいるのはご愛敬(笑)。
すみません、一番左のはわたしがおきましたw。
ヨドバシカメラのガチャで入手できると聞いて、つい買いにいっちゃいまして。

境界協会。
ちょうど日本地図センターの、というか境界協会の小林政能さんの講演があるというので観ていく。大盛況でありました。
話のネタは各地の境界。
前半は写真を使ったプレゼン。後半はGoogleEarthで。
GoogleEarthにあれこれネタを仕込んでおいて
臨機応変に拡大縮小回転させながらプレゼンするっていう
政能さんのスタイルは面白いので極めていただきたいなあと。
わたしもいつか真似してみたい。


お茶の水女子大 地理学コース。
地理×女子。
昨年、タモリ倶楽部に登場したお茶の水女子大の地理学コースの人たちがいる。
ゼンリンとのコラボでオリジナルのクリアファイルを作ったというので
ゼンリンブースの隣に。

お茶の水女子大回りの地図を見ながら、ガッキー(そのときのタモリ倶楽部を観てた人限定のネタ)と小日向のさぎ坂話などで盛り上がる。
女子大生と楽しく談笑してて彼女らの写真撮るの忘れた。
ダメじゃん。

そんな感じで遊んでたので肝心の展示をほとんど観てないのであった。
ダメじゃん。

帰宅後、
ascii.jpに猫連載を書いてメールしたが、〆切時刻をオーバーしたので土曜掲載になりそう。お題は保護猫カフェ「青の奇蹟」再訪。