2016/12/06

ひとり古道散歩「柿生から百合ヶ丘」

14時に新百合ヶ丘の某社で打合せ。
時間的にちと中途半端である。
そうだ、早めにひと駅先の柿生までいき、
古道を辿って新百合ヶ丘へ向かおう、と思ったのである。

当初は世田谷通り(いやこっちでは津久井道か)の旧道を辿るつもりだったが
柿生で昼飯を食いながらあれこれググったら
もっと古い道があるのだという。
義経が通ったという伝承があったりするレベルの古さらしい。
なにしろこのあたり、
義経が勧請したという九郎明神社や
弁慶が修復したという二枚橋、
義経の家臣だった人の城館址伝承
など源義経伝承がいくつか転がってるのだ。

そこで急遽予定を変更。

柿生駅の東口から北へ向かうことにする。

いやあ古道っていいですな。
微妙な起伏やカーブを伴いつつ
いきなりプチ稲荷。


その後水路(一部暗渠)ぞいに線路脇を北上する。
右手は崖である。強烈な丘陵地帯なので、斜面と言うより崖だ。

小さな地蔵を超え、さらに進むと……わははははは。
なんだこれ。

崖を造成して盛り土して(たぶん)、巨大な擁壁たてて
その上オーバーハングまでさせてその上に分譲住宅である。
その隣は崖を削って水路沿いにマンションを建ててるので
そのギャップがたまらん。

今日一番の収穫ですな。

その後崖沿いに斜面を上りつつ、
道祖神を集めた一角をすぎ、崖下の祠をすぎる。


祠の脇に小さな池があり、崖からの湧水がそこに流れるようになっている。
以前は斜面からわきでてたんだろう。
すぐよこに地元のじいさんがいたので尋ねてみると
「弁天様」だという。
古地図を見るとこの辺の崖上に神社マークがあるので、
その神社が開発にともなって下にうつされたのかもしれない。

にしてもだな、
新百合ヶ丘あたりの丘陵地ってとことん開発されてて
道路も引き直されて、地形も改変されて
往時の名残なんて残ってないかと思いきや、
以外に残滓ってあるのだ。
こういうの、現地で古地図見ながら歩かないとわからんのだよ。

もっと先まで行きたかったが、
仕事の打合せがあるので
途中で左折して新百合ヶ丘前のオフィスへ。

そこで1時間ほど打合せをして15時。

夕方の打合せまで時間があるので
また古道へ戻り、
古地図にある「弘法松」が気になったのでそちらを目指す。
弘法松跡を求めて崖上にのぼると
かなたに富士山と大山が見えつつ日没。


弘法松跡の崖下はどうやら分かれ道になっていたらしい。
片方は津久井往還へ、もう片方は生田の枡形城方面へつながっていたようだ。

巨大な松がその目印とされてたんじゃなかろうか。
そしてあまりに立派な松なので、のちに「弘法大師が植えた」という伝説がどっかで付加されたんじゃなかろうかと思う。

いやあ、どの街もこうしていざ古道を選んで歩いてみると
小さなみどころがたくさんあって面白いのである。興味深いのである。
現地を歩くって大事だわ。

めちゃ冷えてきたので
ここから素直に百合ヶ丘駅へ向かう。
百合ヶ丘から登戸間は以前ともだちと旧道を辿って歩いたのでよしとしよう。

ログはこちら。
地図は明治末期の古地図。アプリは「スーパー地形図」である。
にしてもよくこんなところを切り開いて大開発したもんだよなあ、小田急。

百合ヶ丘駅は谷底にある。まあそれはいいとして、
電車で経堂へ行き、
夜の打合せ。
来週、旅ライターデビューすることになりそうである。
何がなんだか。

帰宅して
ITMediaにiPhoneカメラ連載を書いてメールして寝る。
ネタは最近アップデートされた「Microsoft Pix」。


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