2016/11/19

荻窪圭の荻窪三大庭園訪問記

荻窪圭と荻窪は特に縁もゆかりもないわけであるが、
今日、ともだちが新しい自転車を買った記念、
シンゴジラサイクリングの予定だったのである。
でも雨だったりインフルエンザ感染者が出たりして。

予定を変更して、荻窪へ行く。
西荻窪で開催されてる西荻ドブエンナーレに行きたい人と
天沼で開催されてる荻窪暗渠展へ行きたい人がいて
意見が一致したのだ。

荻窪駅南口に集合。
いきなり昭和に出迎えられる。

一路、ふらふら寄り道しつつ、古地図を見ながらできるだけ古い道を辿って南へ。
古地図といっても荻窪が開発されたのは大正から昭和なのでそれ以降の地図である。

斜面を善福寺川に向かって辿ると暗渠。
この暗渠を歩いて行くと、左手に今日の目的地である
荻外荘公園に辿り着く。
が。
昔は池もあったという庭園は単なるだだっぴろい公園に。しかも公園名も「仮称」。
台地の上にあるはずの「荻外荘」はよく見えない。
うーむ。期待外れだったか。

でもまあ公園脇の坂を上ったらもうちょっと邸宅を近くで見られるかな、と
上ったのである。
そしたらなんとこんなことに。

いやあラッキー。
「荻外荘」というのはここにある旧近衛邸のこと。
「てきがいそう」と読む。荻の音読みは「てき」なのである。
近衛文麿が総理大臣から終戦まで(昭和12年から20年)住んでいた家。

数年前に杉並区が買い取って整備中なのだが
ちょうど邸宅内部の公開日だったのである。
来てよかった。

人数が限られているので14時半の回を予約。
時間があったのでちょっと足を伸ばして、
角川源義(角川書店創業者)が住んでいた角川庭園と邸宅へ。

片道5分程度の距離なのだが、
何しろ街歩き仲間である。
歩いてて、何か面白いモノを見つけては立ち止まる。
特にこのあたり、廃墟っぽい御屋敷跡や古い邸宅が並んでて
ぶらぶら歩くだけで面白くてたまらんのである。

ギリギリで荻外荘へ戻ってきて、
ヘルメットをかぶって内部をガイド付き見学。
今この邸宅は「工事中」なので、ヘルメットは必須なんだそうな。

近衛文麿については略すが、
(まあ、華族で、華族院の政治家で、戦前に総理大臣もした人)
昭和20年、A級戦犯とされ、自決して果てたのである。
これがその自決した部屋。服毒だったそうな。

この荻外荘では、昭和史に残る会談も行われた。
荻窪会談として知られている。
首相官邸ではなく、静かな郊外で新聞記者にも追われないここを使ったとか。

一般公開まではまだかなりかかりそうなので
(邸宅の半分が豊島区へ移築されており、それを買い戻す計画があるという)
今観られて、ラッキーである。

そこから北上して、大田黒公園の紅葉を愛でる。
11月最後の土日に夜間ライトアップを行う。ここは紅葉客も少なくてゆっくり楽しめるのでお勧め。

荻外荘→角川庭園(幻戯山房)→大田黒庭園
と荻窪三大庭園を堪能。これ、ウリにすればいいのに。
どれも斜面を使った庭園を持ってるのがミソ。

北上して荻窪駅を越え、
桃園川跡の暗渠を歩いたりしつつ、
弁天池跡の弁天様。

かつて天沼の弁天池があり、桃園川の源流のひとつだったのだ。
湧水がなくなって池も埋め立てられ、のちに公園になり、
片隅に、杉並区立郷土資料館分館が建てられ、
その1Fで高山・吉村 暗渠コンビによる暗渠展が開かれているのだ。


1Fを楽しんだ頃、2Fの「天沼弁天池があった頃」という展示にも顔を出すと、
当時の古地図がいっぱいあり、
何しろそういう仲間達でいったのだから
古地図を見だしたら止まらず、
「閉館ですよ」といわれて外に出る。

荻窪駅まで天沼八幡などを愛でたり
昭和な朽ちかけた建物や
狭くて旧い飲食店街を楽しみつつ青梅街道へ出て
せっかくだからこの狭い商店街を抜けようと入ったら、
なんと邪宗門発見。

ここにも邪宗門が。しかも創業61年。
店内は狭くて階段は急でそこをおばあさんがきりもりしてる。

いやはや、密度の濃い素晴らしい1日でありました。
荻窪って思ったより昭和が残ってて面白いわ。

今日のログ。地図は1927〜1939年のもの。
「スーパー地形」アプリより

30年ほど前、友達や先輩が住んでて何度か訪れたんだけど、
タウン7やルミネがまだ真新しくて
荻窪は賑わってるってイメージがあったのだけど、
なんかその頃のまま(つまり、昭和が残ってる)で
違う味わいが出てきてるのだ。

他のメンバーは西荻へ。
わたしは疲れもあって、ここで帰宅する。

荻外荘公開は11月26日もあるそうです。
26日の夜は大田黒公園の紅葉もライトアップされるので
両方味わえるお得な日。


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