2015/11/04

上目黒氷川神社はなぜ氷川神社だったのだろう

ところで、なぜ上目黒に氷川神社なのか、が気になったのである。
国道246沿い(かつての矢倉沢往還でアリ、大山街道)の
上目黒氷川神社である。

なぜ氷川なのか。

由緒では
 「天正年間(1573〜1592)に甲州の武田信玄の家臣であった加藤家が上野原より産土の大神をこの地に迎えたと言われております」
とある。
御祭神・御由緒・境内 | 上目黒 氷川神社

でも、氷川神社は埼玉県の大宮が本社で、関東では荒川流域を中心に広がっている神社。甲州(山梨県)とはあまり縁が無い。

調べてみても、
上野原には氷川神社は見つからない。
北都留地域の神社一覧|山梨県神社庁

甲州市には勝沼と大和に氷川神社が2つあるが、
武蔵国に関係ありそうなのは、古甲州道が通っていた勝沼の方か、
いや、武田信玄が武蔵国や相模国を攻めるときのルートを考えると、
大和の方かもしれない。
いずれにせよ、上野原からは離れているのは確かだ。

続いて上野原の加藤家を調べてみると、
https://www.city.uenohara.yamanashi.jp/content/100434967.pdf
加藤信政が5歳の時家臣に連れられて豊島へ逃れ、その後裔が「練馬の加藤」「目黒の加藤」であるという。

とりあえず、上野原の加藤氏と目黒の加藤氏はつながったが、
氷川神社が氏神だったという話は見つからなかった。


逆に上目黒周辺の氷川神社を調べてみると、
いくつか見つかる。

ひとつは渋谷氷川神社。
鎌倉街道筋に近い古社である。西にある。
さらに西へ行くと、麻布氷川神社。
その北に赤坂氷川神社。南には白金氷川神社。

南西に目を向けると、八雲氷川神社。
もともとは衾村。
八雲氷川神社参道につながる道も鎌倉街道伝承がある。

北に目を向けると幡ヶ谷の氷川神社。
もっと北へ行くと、高円寺氷川神社、さらに石神井川沿いや江古田や沼袋など中野区にはたくさん氷川神社があるので略。

23区内で氷川神社が多いのは、
中野区練馬区板橋区足立区といった荒川・石神井川流域であるが、
(石神井川流域の氷川神社には豊島氏が勧請したとの伝承が多く、豊島氏の領地とも重なるので、豊島氏系氷川と思ってよさげ)
中野区になると太田道灌勧請という氷川もある。
世田谷区には多摩川沿いの喜多見氷川神社を中心に3つほどある。

都心の氷川神社分布を見ると、上目黒に氷川神社があっても不思議は無い。
気になるなあ、氷川神社。
荒川水系を中心に広がった氷川神社が、
なぜ他の地域に点在しているのか。どう広がったのか誰が勧請したのか。
出雲系氏族と関係あるのか。

江戸時代以前に勧請されたと覚しき氷川神社に絞って(江戸時代はもういろいろな理由でいろいろと勧請されてるから)
全部プロットしてみて、古街道や水系との関連でも調べてみると面白そうである。

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