2014/08/07

[古道]幡ヶ谷不動から熊野神社へ

朝から初台の某社でちょっと某な某。

ついでに旗洗池跡に寄ったあと、幡ヶ谷不動尊へ。
ふと思い立ち、
十二社まで明治の地図を見ながら、
作例を撮りつつ歩く。
これぞ古地図散歩。


幡ヶ谷不動を訪れたとき、新宿までただ歩いてもつまんないから、熊野神社でも寄っていくかと東京時層地図を開いたら、明治後期の地図にある道がきれいに残っていたのだ。これは歩かねばなるまい、と歩いてみると、
昔、アスキーメディアワークスへ自転車で打ち合わせに向かう時よく通った道なのであった。懐かしい。あの頃は東京時層地図なんてなかったからこの道古そうだなあとしか思ってなかったのでありました。
あの頃よくみかけた猫がいなかったなあ。まあ夏だし隠れてるのかもしれん。

というわけで、十二社にあった大きな池の跡地は今はマンション。
池の南の端あたり(上地図のA地点)。以前はマンションが建ってた。次もマンション?

きれいに川底の地形に沿って建っているのが面白い。
回りを歩いてみると、池のあたりは谷地になってるのが今でもわかる。
池の北の端あたり(上地図のB地点)。谷地になってるのがわかる。ここが池だったのだ。

慶長の頃に作られた溜池で、江戸〜大正時代は景勝地として賑わったのだ。

地図を見てて気になったのが、右下に見える、銀世界。
これ、「銀世界」と名付けられた梅の名所だったそうな。
なるほど。
公益社団法人 新宿法人会 - 新宿歴史よもやま話 第36回

幡ヶ谷不動の南にある水路(今の水道道路)は明治になって、
玉川上水から淀橋浄水場へ敷かれた水路。

熊野神社は室町時代に熊野からやってきた鈴木九郎何某が産土神を勧請したもの。
鈴木九郎が別名中野長者で、それについては
拙著「古地図とめぐる東京歴史探訪」の191ページをどうぞ←宣伝

この本、
「道」「地形」「城址」「古墳」「人物」「物語」
と6つのテーマに分けて東京のあまり知られてない古い歴史を訪ねてまわる
というなかなか他にはない構成に仕上がった本だと思うのだが、
あまり売れたという話を聞かないのでした。とほほ。
面白そうと思った方はどうぞ。

で、新宿駅まで作例を撮りながら歩いて帰宅。
ascii.jpに猫連載を書いてメール。


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