2014/06/30

[歴史]ちょいと江戸城と麹町あたりを調べる日

ぽかっと仕事が無い月曜日。
こういう日は前から気になってた調べ物をする日にしようってことで、
猫撮り寄り道しつつ、
日比谷公園の日比谷図書文化館(数年前に、区の所管に代わり、都立日比谷図書館から千代田区の日比谷図書文化館になったのだ)へ。

Nikon 1 V3

この三角形の図書館、ずいぶんきれいになったもんで、
とりあえず郷土資料室へ。
江戸城を抱えてる区にしては地味。

図書館コーナーへいって千代田区史とにらめっこ。
江戸氏や中世の江戸についてチェックしときたいことがあったのだ。

図書館の閲覧スペースにSNAPLITEがあったら便利なのになあと思いつつ。
コピーサービスってめんどくさいじゃん。
SNAPLITEコーナーがあったら、書見用のライトにもなるし、
iPhone持ってればその場で見たいページを撮影してevernoteにつっこめるから
コピーするよりずっと便利。
著作権的にどうなのかはアレだけれども、
膨大な資料の一部だけ欲しいってことよくあるから。

夕方になってしまったので
霞ヶ関の官庁街から国会議事堂前を抜けて(なんかデモの準備してたけどスルー)、
平河天満宮。

1478年、太田道灌により江戸城内の梅林坂上あたりに創建された。
梅林坂を下りると平川門。
室町時代からある古い門で、当時は平川が流れてて、
川沿いの集落は賑わっていたそうな。

それが1590年に江戸城の北にある平河口(武江年表より。たぶん、平川門の外あたりだろう)にうつされ、
その後、江戸時代初期の1607年、現在地に遷座した。
2度引っ越してるわけだな。

平河天神から紀尾井坂を抜けて、喰違門へ。
この喰違見附跡を観たかったのである。
ぐわっとカーブしてる歩道部分が元々の道。クランク状になってる。
すぐ南に赤坂見附、すぐ北に四谷見附があったわけだが、
その間にあるこの喰違見附が一番古く、江戸時代初期に作られたものだという。
しかも、他の門が「枡形門」であるのに対し、ここはより古い形式の「食い違い門」。
石垣もないし枡形もない昔からのものだ。
詳しくは、7月11日の新潮講座のネタになるのでとっとくけど、
講座詳細 | ヨム・カク・ミル・シル 新潮講座 SHINCHO CHAIR | 新潮社
なぜ最初にこんなとこに門を作ったのか。

室町時代にすでにここを道が通っていたからに他ならないわけですよ。
やがて、江戸幕府が街道をつけかえ、喰違見附は主な役割を終えたので
枡形門にもならず、そのままだったのだ。

で、この話は斉藤慎一氏の「中世東国の道と城館」に書いてあったのだけど
それを確かめにいきたかったのである。
行っても当時の道なんて残ってないけど、
実際に歩くと地形を味わいつつあれこれ想像できるから大事なのだ。
喰違見附跡から弁慶堀を望む。地形がよくわかりますな。

麹町あたりは特にややこしいから。

帰宅してあれこれやってたらなんか頭痛がしてきたので
ワールドカップ見ないで寝る。


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