2013/10/14

[古道散歩] 津久井往還を登戸から新百合ヶ丘まで歩く

古地図散歩好きの友だちと津久井往還散策。
今回は登戸から新百合ヶ丘まで。

あらかじめ旧道がどのくらい残っているか、
明治前期の地図と見比べてチェックしていったのだけど、
大きく曲がりくねった箇所はけっこう消えてる。
部分的に残ってるとこもある。
登戸-枡形間は数年前までけっこう残ってたのだけど、
工事がかなり進んできれいになっちゃったなあ。
再開発中。ちなみにまっすぐ直進するのが古道
というわけで、今日歩いたルート。
GPSログが途中でワープしてたので、googleのマイマップ機能を使って手作業で作ってみました。
現在辿れる旧津久井往還を可能な限り忠実に辿っております。




・登戸から生田へ

お友だちが明治期の登戸宿周辺について書いた資料のコピーを持ってきてくれたので
それを観ながらちんたら歩くと、思ったより当時の家々(まあもちろん建てかわってるけど)や屋号が残ってるではないか。
1830年頃宿屋としてオープンした、日本料理の柏屋、
江戸末期創業の柏屋

明治2年創業の池田屋。他にも何軒か発見。
明治2年創業の池田屋

さらに枡形城方面への追分近くには明治17年創業のお菓子屋さん、
明治17年創業の「寿々木」

現津久井道(世田谷区区民的には世田谷通りなんだが)に合流する地点にある「糀屋」も明治期からのお店。
そういう発見って楽しいですな。

榎戸あたりで現津久井道に合流。
津久井道も登戸からこのあたりまで道幅がかなり拡幅されて風情は消えてるけど、まあしょうがないですな。交通量多いし。

途中、大道橋とかお地蔵さんとかで立ち止まりながら、生田方面へ向かう。
東生田にあった3体の地蔵
このあたりはまだ拡幅が進んでないため、昭和の名残を残してる。
歩きつつ、ときどき残っている旧道を発見。
旧道は地形にそってくねくねしてるけど、新道はまっすぐ作られるわけで、
ときおり、川が蛇行したあとに残った「三日月湖」のように
旧道が残っているのだ。
そんな三叉路を発見すると喜んで旧道にそれるのである。
こんな風に旧道が残ってるのだ。
生田駅前で昼飯。

ここでログをとってたGPSアプリがトラブって(メモリ不足か)
ログ取得が止まってたことに気づく。がーん。
別のアプリに切り替えることに。
まあ、GPSログをとりながら、
いろんなアプリを立ち上げては古地図をチェックしたりググったり
写真撮ったり、いろいろしてたからなあ。
iPhoneを酷使しております。iPhoneあってこその古道散歩。

・生田から百合ヶ丘へ

生田駅からよみうりランド前駅あたりは
里山に挟まれた狭い谷地を、
津久井道・小田急線・五反田川の3本が隣り合って通っていて
両端の斜面にはいつのまにか家やマンションがびっしり。
狭いところにひしめきあってる。

旧津久井往還は、
よみうりランド前駅手前で小田急の南側へ。
よみうりランド前駅前で旧道は線路を渡る

よみうりランド前駅前を過ぎしばらく線路沿いに歩いて笹山橋をわたり、また現津久井道へ。途中でロマンスカーを撮影。
ロマンスカー撮影スポット発見

・高石あたり

高石歩道橋下交差点で旧道は北上し、小さな川を渡る。
川を直角に渡るためにちょっとクランク状になってたのだ。
その川を渡る橋が「二枚橋」。
義経と弁慶……けっこうアレですが

描かれているのは源義経と武蔵坊弁慶。
実は、1180年頃……源頼朝の挙兵に合流すべく、奥州から馳せ参じた源義経一行がここを通った際、粗末だった橋を弁慶らが馬も通れる橋にかけかえたという伝承がある。
奥州から鎌倉へ向かうとき、津久井往還を通った?
なんか謎だけど、
実は、新百合ヶ丘からちょっと北西にいった丘陵地に
源義経が一泊したと伝わる
「九郎明神社」(源九郎義経だから)
九郎明神社。2012年3月撮影
があるし、
他にも多摩丘陵には源義経にまつわる伝承がいくつかある。

義経が奥州から鎌倉へ向かう際どこを歩いたか。
奥州道を南下し、途中で西に方向をかえて登戸で多摩川を渡り、
後に津久井往還となる道を西進、
町田あたりで鎌倉街道上道にはいって鎌倉に向かって南下した
ってパターンならこのあたりを通るのもあり得るか。
奥州からの最短距離なら鎌倉街道中道か下道になるんだけど、
義経の兄、今若が相模国渋谷庄(今の高座渋谷)にいたそうで
その縁でこちらを回ったのなら納得できる。
おもしろそうだー。

閑話休題。
話は戻って津久井道。
ちなみに、明治前期(このあたりだと江戸時代と同じと思っていい)と今の地図を見比べてみる。旧道といっても、当時の道に比べるとすでにかなり滑らかにゆるやかになってるのがわかる。
その変遷が面白い。


やや高いところを通る旧道を歩いて行くと、右手に高石神社がある。
右手といっても、道から急坂を延々と上った山頂。
がんばってそこまで昇る。疲れた。
高石神社は山の上

神社自体は江戸時代のもののようだが、
この神社で行われている厄払い神事の解説板に
義経らが奥州に安部氏を征討に行く際、
高石の烏沢にある八幡神社で厄払いの神事を行い、
(その八幡神社は現在高石神社に合祀されている)
無事、奥州征討を果たしたのが由来と書いてある。

だがしかし、実はそれ、義経じゃないっす。
奥州の安部貞任を征討したのは平安時代中期の「前九年の役」で、
征討軍を率いたのは源義経ではなく、そのご先祖さまである源頼義と義家の親子。
義経が鎌倉へ向かう130年近く前の話。
どこかで源義家と義経が130年の時を越えてごっちゃになったんでしょう。
どっちも源氏の英雄だし。
まあ伝承ってのはそんなものです。深く突っ込んではいけません。

ともあれ、山頂の境内はたいへん眺望が素晴らしくそれだけで
えっちらおっちらのぼる価値有り。

境内には手水舎があり、龍の口から水が……え、龍ちゃうやん。
よく見ると、狛犬である。
さらに、鳥居の脇を見ると、一対であるはずの狛犬が片方しかいない。
ってことは……えっと、狛犬に管を突っ込んで
口から水を出させてるの?
えっと、どこからどうつっこんでいいやらわかりません。

この神社、何かと面白すぎます。

・百合ヶ丘から新百合ヶ丘へ

さて山頂を降りて津久井道旧道へ戻る。
あとは今日の目的地新百合ヶ丘へ。
新百合ヶ丘に近づくにつれ、毎年開発が進んで丘陵地が造成されまくって
道も拡幅されて、往古の風情は雲散霧消って感じなんだけど、
実はちょっとだけ旧道が残ってるのだ。
百合ヶ丘からちょっと西へ行ったあたり、
旧道は大きく曲がって、小田急線の南側を通っていたのだ。
そこが残ってるのである。
素晴らしい。ってわけで歩道橋を渡って線路の南側へ。
右手に線路があります。遠くに見えるビルが新百合ヶ丘。
そして道なりに歩くと線路をくぐって現津久井道に戻り、
道沿いにおかれた道祖神などをめで(たぶん、造成時にまとめてここに置いたのでしょう)、ついでに十二神社を参拝して、
昔はここは里山だったんだよなあと思いつつ
新百合ヶ丘駅でお茶して解散。

で、帰宅して、疲れた身体にむちうって、
ITMediaにiPhoneカメラ講座を書いてメールして、寝る。

・iPhoneのGPSロガーアプリは何がいいか

実は徒歩で移動するときはGPSログをiPhoneでとってたのだ。
ここ数年使ってたのが「King GPS」。でもそれがトラブったので帰宅して調べてみたら、がーん、KingGPSってもうなくなってて、同じ会社がその続編である「ZweiteGPS」をリリースしてたのだ。知らなかった。
がーん。
次回からはこれを使うことにしよう。
GPSロガーとして使えるアプリはたくさんあるけど
(山と高原地図とかやまやまGPSもログ機能あるし)
ログをちゃんととりたいときは、それなりのアプリを使いたいからね。



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