2013/05/01

幡ヶ谷は旗洗池もしくは洗旗池

幡ヶ谷にある古い知人がやってる編プロで仕事の打ち合わせ。
甲州街道まで出ればあとは1本だ、ってんで自転車で出動する。
打ち合わせ終わると空は雨模様。
あちゃ。
まあこのくらいなら多少濡れても問題ないかとその足で新宿へ行き、
家電批評編集とルノアールで打ち合わせ。
ついでにヨドバシに寄ってKiss X7を見る。
おお。ちいせー。EOS M大丈夫か、というくらい小さいわ。
昔、ニコンがD40を出したとき「ごろんとしてて小さくてかわいいわ。これは売れそう」と思ったけど(残念ながらその後ちょっとずつ大きくなっていって、あの頃の小さくて可愛い感じはなくなりました)、それを思い出す感じ。
標準ズームの17-55mmがデカくみえる。標準ズームのEF-Sレンズももう一回り細くして(マウント径より細いレンズにしちゃえばいいのに)全体にコンパクト感を増せばもっと面白いのに。

雨はさほど強くなりそうにないので帰りは甲州街道を避け、笹塚から羽根木道を抜けて帰宅。

ちなみに幡ヶ谷の語源は、源義家が欧州征討の帰途、源氏の白旗を洗ったという「旗洗池」にあるという。その跡に碑がひとつ残ってる。

明治初期の迅速地図にはその池はないけど、地形的にはちょうど谷頭な感じか。

で、実際にここを源氏の軍勢が通ったかというと、うーむ、平安時代後期、源頼義や源義家が祈願したとか旗を立てたとか鞍をかけたとかいろんな伝承が東京のそこかしこに伝わってて、まあどれかがほんとでどれかが違うんだけど、
当時の街道伝承やら源氏伝承の密度やら何やらを考慮すると、このあたりを通った可能性ってほとんどないと思うのだよな。
奥州道へはいるのに、武蔵国府に立ち寄ってそこから東に向かうルートだと幡ヶ谷よりかなり北になるし、立ち寄らずに多摩川を丸子か矢口で渡ったとするともっと南だし。
笹塚のあたりを南北に鎌倉街道が通っていたという話もあるので、可能性があるとすればそっちか。奥州征討の帰途、いろんなところに立ち寄ったとすれば。

ちなみに笹塚の語源は甲州街道沿いにあった笹で覆われた塚だそうな。これも現存せず。笹塚駅前のあたり。甲州街道の一里塚で、日本橋からちょうど3里目にあたる。

てな感じで今日の総走行距離は19km程度でありました。

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