2011/05/31

取材が終わって外に出たら寒くて震えた

日本カメラの取材で品川へ。
2件あり、
16時スタートで終わったのが19時。
おつかれさまでした。
たまに開発陣にちゃんと話を聞くとこちらも
勉強になってありがたや。
外に出たらすっかり冷えておりました……って
なんでこんな寒いん。

男前ミルクコーヒーを飲みながら今後の打ち合わせをして
帰宅途中、妻からメールがはいり、
どうも同じ電車に乗ってるようで、
じゃあ、ってんで経堂コルティで晩飯。

それにしても寒かった。

2011/05/30

今日観たテレビはBizスポだけ

請求書を印刷せねばと思ったら黒インクが切れてて
予備があるからいいやと思ったがどうやらないらしい。
おかしいな。
でも以前からわたしも記憶はおかしいので別におかしくもないか。
強い風の中インクを買いに行く。

それ以外は陰々鬱々滅々と家に籠もって
某社の某仕事を延々とこなす。
ブツ撮りしたりテキスト書いたり。
疲れた。

さて今週やらねばならぬ仕事を頭の中で整理せねば。

2011/05/29

雨の明治神宮宝物殿

劇団「むっちりみえっぱり」の江川嬢と……って書くとなんか妖しげだが
要するに妻のお友達と3人で参宮橋ももちどりでランチしたという話。
雨の中開店前に店へ到着するもすでに待ってる客あり。
相変わらず人気。パンケーキ食う。
素敵ランチ, originally uploaded by ogikubokei.

雨だねえ、どうしようか、近いから明治神宮宝物殿でもいってみよう
というわけで宝物殿で歴代天皇の肖像画をツッコミを入れながら楽しむ。
基本的に明治天皇が使われていた馬車や筆記具やそんなものが中心だが、
目につくのは124人の歴代天皇肖像画なのだ。
なぜ髭がある天皇とない天皇がいるのか、天皇の諡号はどのように決められたのだろうとか。
なぜ一条天皇も二条天皇も三条天皇も四条天皇も六条天皇もいるのに五条天皇はおられないのか。
疑問は尽きないのである。
鬼がわら
rain drops
駅前で夕方までお茶。
何時間もぺちゃくちゃおしゃべりするというなんとも贅沢な時間。

帰宅して広島戦見て、森崎の2本の素晴らしいゴールを堪能し、
Jリーグアフターゲームショーでブルザノビッチの復活ゴールを祝い、
眠かったのでちょっと寝て起きて
夜中から仕事をはじめる。

5月28日は翌朝まで続いたのであった

妻とLOCANDA世田谷でランチ。
ここ、最近、すげーお気に入りの店となってる。
のんびりできるし美味しいし。

夜はアフターゲームショーみつつ
ITMediaにSZ-30MRというムチャなカメラのレビューを書いて
作例を選んだり製品写真作ったりしてたらなんだかんだと
チャンピオンズリーグがはじまり、
なんだかんだとペドロとかルーニーとかメッシとかビジャとか役者勢揃い。
スイッチがはいったバルサはどこもとめられないですなああ。
なんていってたら朝になったので
原稿をメールして寝たのだった。

2011/05/27

筑土神社と平将門と神田明神

先日、ここで掲載した被災地写真の1枚を使わせて欲しいと
東大政策ビジョン研究センターからメールあり。
快諾したところ、ページのトップで使われてた→震災復興政策支援サイト
興味深い内容なのであとでゆっくり読む。

デジタルカメラマガジン編集部で打ち合わせ。
新しく連載をはじめることになりそう。
久々だなあ、デジカメマガジンに書くのも。

驚いたのは編集長が、むかーし、別の本で一緒に仕事した人だった。
日本実業出版社のエスカルゴムックという定期的に出てるムック本があって
パソコン関連の企画で出すたびに借り出されて、
毎号20ページくらい書いてたのだ。
前世紀末くらいの話だな。たぶん。
そのとき編集部にいた人なのである。
これは驚きましたです。

打ち合わせ後、ちょっと散歩したくなり、
靖国神社へ向かう。靖国が目的じゃなくて、さらに九段坂を下ったところにある
筑土神社に行ってみたかったのだ。

話は平安時代に遡る。
平将門が京都で殺され、その首が東京まで飛んできて
今の大手町あたりに落ちた。いわゆる「将門塚」である。
そこに将門を祀った神社が創建された。
それが「津久戸明神」で、筑土神社の前身だ。
15世紀末、江戸城を築城した太田道灌が、それを江戸城の北西あたりに移し、
田安明神と名前を変えた。
16世紀半ばに九段坂に移転、
家康が江戸城に入った頃、江戸城拡張に伴って、
牛込見附へ移転。
そして17世紀初頭に江戸城外堀拡張に伴って飯田橋近くに移転。
そこはたまたま筑土八幡神社があった。その近くに筑土明神として祀られたのだ。
話がややこしいけど、筑土八幡と筑土神社は名前がたまたま似てただけ。
それが戦争で焼け、戦後になって元の場所(というか田安明神があった場所)の近くということで
九段に移転したものの、九段中学校建設予定地にひっかかり、
現在地へ移転したのが1954年。
詳しくは筑土神社のホームページをどうぞ。それを参考にしております。
筑土神社の変遷をおおざっぱに
現在地は九段坂の下の方。見ての通り、ビルに囲まれておりました。
筑土神社
筑土神社

なんかややこし過ぎますな。
移転で困るのが神社の氏子。昔は遷座とともに移動してたが、昭和の時代には無理ってことで、
氏子が住んでた船河原町に筑土神社の飛地社として小さな神社を建てたのだという。
PICT0010
2002年にたまたま撮ってた船河原筑土神社
神社仏閣は動かないと思われてるけど、実はこんな風に遷座・移転を繰り返してるのだ。
だから由緒にあたるのは大事。

で、わからないのが神田明神との関係。
筑土神社は940年創建(将門が死んですぐ)と伝わる平将門を祀った神社であり、将門塚の近くにあった。
その頃、将門塚の近くにはもうひとつ神社があったとされる。
神田明神である。
Wikipediaによると、740年に豊島郡芝崎村(今の大手町あたり。将門塚の近く)に創建されたと伝わり、
鎌倉時代の1309年、将門の祟りを鎮めるために、神田明神に神として祀ったというのだ。
神田明神が今の場所(湯島)に遷座したのは江戸時代のこと。
じゃあ鎌倉時代、すでにそこで平将門を祀ってた津久戸明神はどうしてたんだろう。
津久戸明神があったのになぜわざわざ神田明神に祀ったのだろう。
それ以前に、なぜ下総国出身で戦死したのも下総国である将門の首が
武蔵国の端にある芝崎村に飛んできた(あるいは京から持ち去られて埋められた)のだろう。
すごく気になるのだがよくわからない。

将門塚はもとは古墳だったという話もあり、
6〜7世紀頃からこのあたりに集落があって、
芝崎村と呼ばれるようになり、
8世紀には古社古刹もできて古代東海道も通っていた、という
感じではあります。
ちなみにもうちょっと東へ行くと平川河口で高橋があり(今の常磐橋あたり)、
江戸氏の時代には湊としてそれなりに栄えていたもよう。

2011/05/26

機材が一気に帰って行った

せっかくブログを開設したんだから原発の話とかエネルギーの話とか
そんなことでも好き放題書きたいと思っていたのだが
結局1日がおわるとそんな気力は残ってないのでした。
今日は
都内某社で某な某がありまして
でかけて
帰宅してアレをタイムサービスで送り返して
ascii.jpに猫連載を書いて
夜は夜で別のブツを編集者に渡して
そんなこんなで
終わったのでした。

今欲しいモノ
・マクロレンズ(60mmF2.8か105mmVRか……どっちがいいかなあ)
・適当なauのAndroid端末
・ガイガーカウンター

2011/05/25

IS05にするかINFOBARにするか

なんとか午前中に原稿を2本書いてメールして
バタンと倒れるように寝て午後起きて
うっすらと晴れてて
手元に2日くらいしかないデジカメがあるので
あわてて家を出て
LOCANDA世田谷で飯を食って
珈琲飲みながら機材をチェックして新しくなったとこを調べて
あれこれセッティングして基本機能を知る。
(ここ、16時半までランチを食べさせてくれるので助かる。
ソファ席が空いてたので……のんびりと。すっかり顔を覚えられてるし)

そして夕方に経堂コルティ。
ここ、電車も夕焼けも人工構造物も撮れるし
駐輪場は2時間まで無料だし
晩ご飯の支度も出来るし
PASMOも使えるし(ってわたしのはモバイルSuicaだけど)
喫煙室もあるしで
ナニカと便利なのだ。

そういえばモバイルSuicaのAndroid版が7月23日リリースに決定したなあ。
思ったより1ヶ月遅かった。でもこれで長年使ってるauのケータイをAndroidに機種変できる。
そーいえば、PASMOとかICOCAとか……JR東日本以外の交通系が
おサイフケータイに対応しないのはなんでだろ。
あれ、めちゃ便利なのに。
いちいち財布出さなくていいし
ひとつの端末に複数のサービスをいれられるし
いつでもどこでも思いついたとき(レジに並んでるときとか)
チャージできるのがいい。
経堂駅前は、ピーコックがEdy、コルティとその中の小田急OXがPASMOに
対応してるので、妙におサイフケータイ充実駅になってるのだ。

さて問題は
・IS05にするか←小さいのがいい。今、ケータイをしまってるポケットにそのまま入るし分厚いので握りやすい
・INFOBARにするか←ちょっと幅広いけどデザインはいいしOSも2.3だし
なのだがどうしようかねえ。

2011/05/24

仕事が遅くてすみません

朝起きてまだアイデアが固まらずに唸って
歯医者で治療受けて
久しぶりに美人姉妹のLOCANDA世田谷
オムハヤシカレーを食ったら旨かった。
このまままったり珈琲飲んで現実逃避するのもよかったが
経堂駅でブツ受け渡しの約束があったので
そそくさとブツを受け取り
その足でアイデアを考えながら
コルティの女子向け雑貨屋で作例用小物を買い
ついでにヤマダ電機へ走ってLED電球を買い
帰宅して延々とお仕事してるけど
コンタドールが速すぎて
全然終わりません。すみません。
とほほほ。

2011/05/23

梅雨近し?

朝までかかってITMediaの仕事を1本仕上げて
10時頃寝て14時過ぎに起きて
そしたら、ひとつ大変なアレがアレで
ぎゃあ、やんなきゃ、えっとえっと
あれをこうして、これをこう撮って……うう、
いいアイデアを思いつかない。困った。
雨だ。
あれよあれよという間に夜になり
今日は短かったな月曜日だしな
いや起きたのが遅いからだ
ダメ人間モード。

被災地へ行ってきた-その3-完結編

5月19日。
20日に発売されたビッグコミックオリジナルを読んでたら
吉田戦車が帰省ついでに被災地を見に行くにあたって
「でもやっぱりうしろめたいな、ボランティでもない人間が……」
「自分の目で被害を見ることに、意味はあると思いますよ」
なんて会話あり。
ああ、わたしもそんなうしろめたさがあり
現地で会った人と同じようなやりとりしたのを思い出した。
彼はひっくり帰った軽自動車がモニュメントと化している海辺で
カップラーメンを食べながら「たくさん見ていってください」といってくれた。


被災地全体を撮影した写真や映像に写るのは敷き詰められた瓦礫の絨毯であり、
壊滅した街の残骸にすぎないんだけど
近寄ってひとつひとつの家を見ると、
瓦礫の海は個々の家々の名残であり、
そこには確かに生活があったのだと実感できるわけで。
津波でやられたと思われるスーパー
旧家は作りがしっかりしてるけど1階はこんなことに
1階が潰れた家。窓のカーテンが風で揺れていた。
解体可と赤で大きく
誰が置いたのか、夫婦な人形
曲がりなりにも原型をとどめている家には、解体するか現状保存するかの意思表示がなされている
その紙を見て解体するかどうかを決めているのだ。

家(もしくはその残骸)にさらに近づくと、
ひとりひとりの生活の名残が見えてくる。
瓦礫を片付けたボランティアの手によるものだろう、
家人が大事にしていたと思われる品がところどころ、
多くの家は家人が片付けに戻っているようだが、
そうじゃない家もまたあるわけで、
カメラ、ビデオテープ、アルバム、そんなものが、
家人がきたらすぐわかるよう置かれているのだ。
PENTAX MEと腕時計
ビデオテープ 
懐かしい、80年代のラジカセ
木片、ペットボトル、缶、ストーブ、ピアノ、オモチャ、絵本、パソコン、自転車、食器、棚、あらゆるものが瓦礫の一部とかしているが、どうしても目に付いてしまうのが時計。壊れた時計は震災を象徴してしまうのである。

街や港を歩き回り、腕時計を見ると14時すぎ。
iPhoneを取り出し、Evernoteに貼り付けておいた、久ノ浜駅の時刻表を見ると、1時間に1本レベルの発車時刻まで30分を切っていた。まだ日は高いけれども、昼飯を食ってないので腹も減ったし、前日ほとんど寝てないので疲れてきた。
歪んだカーブミラー
クルマだったもの
本殿だけが残った秋義神社
5日前に復旧したばかりの久ノ浜駅に到着し、いわきまでの切符を買い、三両編成の常磐線に乗る。

いわき駅ビルで適当な昼飯を食う。
次のスーパーひたちまで1時間以上間が空いてたので、各駅停車で勝田まで行き、フレッシュひたちに乗り換えて東京へと戻る。
いわきでこれなのだから、仙台や石巻や気仙沼はもっとひどかったろう、
いわきと宮城に挟まれた原発30km圏内(久ノ浜からひと駅北へ行くと30km圏内なのだ)はいわずもがなである。

リンク:
被災地へ行ってきた-その2-
被災地へ行ってきた-その1-


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2011/05/22

扇風機の風を浴びながらお仕事中

明日午前中締切の原稿を必死に書く日曜日。
昼間は雨が降る前にと足りなかった作例を撮りに
松原へ。東急世田谷線を狙ってみた。
旧型車両はカッコよかったのになあ。
まあしょうがない。
世田谷線旧型車両(2000年4月撮影)
ここ一週間の疲れが出てるのでときおり休憩しつつお仕事をしつつ夜。

GreenFan2設置してみた

暑い日曜日。
届いたまま放置されてた
バルミューダデザインの扇風機「GreenFan2」を使ってみた。
GreenFan2
箱をあけたらパーツがバラバラで入ってた。
GreenFan2
電源はなんとACアダプタ。
GreenFan2
GreenFanはDCモーター(しかもブラシレス)だからですな。
普通の扇風機は交流モーター。GreenFanは直流。
しかも消費電力が少ないのでACアダプタでOk……と
わかってはいても、現物を見ると驚くもんである。
これなら、バッテリでも動かせるじゃん……と思ったら、
別売りバッテリが発表されてた(笑)。
組み立ては簡単。工具いらず。
適当にはめこんでいくだけ。
GreenFan2
で、完成。
GreenFan2
完成したら動かしてみる。
GreenFan2

いやあ、びつくり。
1) とても静か。最強でぶん回しても一般的扇風機に比べて十分耐えられる。
2) 静かなのに気持ちいい風がくる。けっこうしっかりした風。これはよい。
3) 省電力である。風量弱だと3W。最強で17W。一般的な扇風機は35Wくらいなので半分。
4) でも高い。扇風機に3万円以上払うのは好事家だけかと思う。はい。好事家です。
ちなみに、東芝もDCモーター搭載の扇風機を出したけど、そちらも2万円以上する。
DCモーターものはちょいと高いのだ。
5) フロントパネルが磁石でくっついてるだけなので着脱&掃除が楽

そんな感じで今年の夏の扇風機はこれで。
ダイソンの羽根のないヤツとどっちにするか迷ったんだけど、
ダイソンのはうるさいし電気を食う(40W)ので
「東電に余計な金を払ってやるもんか」なご時世、GreenFanに軍配があがった次第。
GreenFan2の詳細はこちらへ→バルミューダ

高いんだけど……扇風機って見た目で選ぶとうるさかったり使い勝手が悪かったり、
かといって日本のメーカーものはデザインが「昭和家電」から進歩してなくて
部屋に置きたいとはとても思えず、ずっと悩みの種だったのだ。

東芝のDCモーター扇風機へのリンクも貼っておきます。
もうちょっと安くDCモーター扇風機が欲しい人へ。

追記(20110617)
東芝他、電機メーカーのDCモーター扇風機は安くなりましたね。1万円台で買えるようです。
GreenFan2は大人気で、今は入手困難。びっくり。生産が追いつかないので
予約を止めてるとか。ディノスのカタログに載ってるんだけど、
生産が追いつかないので注文を停止してるっていうペラ1枚がはいってたりとか。
早めに買っといてよかった。

2011/05/21

洋館と和館と猫

妻の人が自転車に乗りたいというので
久々の遠乗り……かと思いきや、
下北沢のサコッシュ(自転車乗り系のカフェ)に行きたいとか
旧前田侯爵邸に猫がいるらしいから観に行きたいとか
メチャ近場やん。

でもまあ今週は毎日出歩いてて疲れてるのでそれもまたよし。

サコッシュで昼飯を食い
駒場公園へ行って前田侯爵邸洋館と和館。
どっちも冷房なんてもちろんはいってないが
ひんやりして涼しい。

洋館脇の庭で猫発見なるも、トトトトと和館の方へ去ってしまった。
和館へ行って庭を愛でていると、
庭先を右手から左手へツツツツと猫が通過。
隙間から外を覗くを覗く
こんな調子で猫をおいかけて。

駒場公園から南下して淡島通りを西へ下り
豪徳寺に寄って帰宅して
グランパスの怪我人状況がさらに悪化したのを嘆き
Jリーグアフターゲームショーみながら夕飯を食って
そのままばたんと寝る。

20kmも走ってないけどまあリハビリ開始の開始。

被災地へ行ってきた-その2-

5月19日。
久ノ浜駅からしばし歩くと海に出る。あっという間に海である。
久ノ浜から北を見ると、右手に大きく飛び出た岬がある。これが殿上崎。
背中に壊滅した街を感じてなければ、極めて明媚な光景だ。
背中はこんなである。南を見る。
堤防の左が海、右が街。
堤防も一部損壊。
堤防の海側はどうか。河口の北側から撮ってみた。
大きな津波が来たのだからひとたまりもなかったろう。
殿上崎の向こうに港がある。
港に向かう。
港にたどり着く。
漁港である。
沈んだままの船もあるが、復興ははじまっているようだ。
遠くに白い煙突が何本か見える。かすかに見える。
かすかなのはガスってるからで、空気が澄んでいればもっとくっきりと見えるだろう。
たぶん東京電力火力発電所の煙突である。



上記の写真はジオタグ付でPicasa Web アルバムにアップしてあるので、
興味のある方は地図からどうぞ。↓の地図をクリックするとアルバムへ飛びます

2011/05/20

眠かった

お昼から日本カメラでランチしながら打ち合わせ。
夕方からITMediaで打ち合わせと撮影。
暑かった。
日比谷線が寒かった。節電で冷房を弱くするんじゃなかったっけ。

今週は毎日なんだかんだと外出してたので疲れた。眠い。寝る。ばたん。

被災地へ行ってきた-その1

5月19日。
朝8時の「スーパーひたち」で上野からいわきへ
茨城県に入って半分ほどすすむと、
地震によるものと思われる損害がちらほらとみえはじめる。
いわき駅で常磐線各駅停車に乗り換えて久ノ浜駅。
駅前でiPhoneアプリの「原発ナビ」。福島第1原発から31kmちょっとの地点である。
駅には修復の跡が散見されるも駅前の通りは比較的平和にみえる。
だが信号の向こう、海の方をよく見ると明らかに様子が違う。
晴天下に似合わない惨状がただよう。
海に向かって歩く。駅前から道路を2本越えると一変する。
瓦礫の山である。現在、重機を使って瓦礫を片付けている最中で道路脇に無造作に積み上げられている。
解体希望の家は解体し、現存希望の家はそのまま残すという作業の途中だ。
海までたどり着き、振り返ってスイングパノラマする。
こんなである。
作業している方やボランティアや地元の方の邪魔にならないよう、
津波に破壊された街を見て歩く。
上のパノラマとほぼ同じ位置で撮影したのが下の写真

国道6号から1本東に入った、街のメインストリートっぽかった通り
幼稚園は1Fだけが骨組みに。後ろに見えるのは海
見ての通りなので特に付け加えることはなし。その夥しさは見てもらえればわかるかと思う。
天災は街を一瞬で破壊するが、復興するには
破壊の跡を片付け、瓦礫を処分し、更地にしてやっと「ゼロ」になる。
そこからが出発だ。
福島県南部でこれである。
海岸線沿いに、福島県・宮城県とこの風景が200km以上続いていると思うと気が遠くなる。
ニュース映像は個々の地点しか映さないが、そんな光景が海岸線沿いにつながっているのだ。

上記の写真はジオタグ付でPicasa Web アルバムにアップしてあるので、
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