2013/06/29

「東京スリバチ学会」北斗七星スペシャルで2万歩歩いてへろへろに

『東京スリバチ学会』フィールドワークの日。
今回は「北斗七星スペシャル」というので
神社の歴史好きとしては外すわけにはいかず、
ちなみに「東京の北斗七星」というのはこちらに詳しい。
平将門魔方陣 「将門は神になれたか」:玄松子の雑記帳

東京の平将門にまつわる伝承を持つ神社と首塚が「北斗七星」の並びになってるという話。
もっと細かくいうと「平将門に縁のある神社と首塚の『江戸時代の』場所が『北斗七星』」。
なぜなら、神田明神は首塚近くにあったものが江戸時代に遷座させられたものだし、
筑土八幡神社も平将門の首を祀ってた「津久戸明神」が八幡の隣に遷座したのは江戸時代の話(今は筑土八幡から離れて九段下近くに遷座されている)だから。

津久戸明神については以前のエントリーみてくださいまし。
混沌の屋形風呂: 筑土神社と平将門と神田明神

江戸時代に神田明神と津久戸明神が遷座させられて「北斗七星が完成した」というところで、これを「江戸時代に北斗七星の形になるよう遷座したのだ」といいはじめると、アレですが、あり得ない話ではなく、楽しい歴史解釈です。

でもこの7つを回るってめちゃ距離あるよな。どうするんだろうと思ったら、
一部、地下鉄でショートカットいたしました。
それでも2万歩越えはつかれたー。

写真を撮りながら歩くのが好きな組は常に先頭集団から後れてグルペットを形成し(そういえば今日からツール・ド・フランスですな)、何度もはぐれてたのでありました。

バッグにGarminのEdge705を突っ込んでログを撮ってたのでその結果を記す。
一応北斗七星っぽい感じになっております。
Apertureより。赤いピンは写真撮った場所
では、時系列に沿って今日のできごとを。

1030:集合
新大久保駅前集合なるも駅前が狭いので、近くにある百人町の「皆中稲荷神社」へ誘導されそこで集合。
「皆中る」というので、絵馬はそれ系ばっか。
宝くじやロト6の高額当選を願って絵馬を掲げるってなんか違う気がするんだけど、
みなさま、自らの現世利益を得るのに余念がないもよう。
皆中稲荷で現世利益を願う人々
今回は60人ほどか(途中合流の人も含めると70人近くなったらしい。すごいな)。
出発前に会長の皆川さんから注意事項とゲスト(っぽい人)の紹介。
「東京『スリバチ』地形散歩」編集の方とか、「江戸東京重ね地図」を作ってる方とか、マニアパレルの方とかわたしとか紹介される。
前回顔なじみになった方もおり、話し相手もすぐに見つかってほっとする。
回数を重ねた会合にあとからひとりで参加する時ってやっぱ緊張するから。

1100:鎧神社着
鎧神社。神田川に望む舌状台地上にある古社。鎧大明神。日本武尊、大巳貴命、少彦名命、平将門命が祭神。ヤマトタケルがここに鎧をおさめたのが起こりということで、まあ日本武尊がなぜここを通るんだ、とかそういうことをつっこむのはやぼということで、
平将門においては、鎧を埋めたとも、伝わる。そんな渋い場所。
鎧神社。左上でこちらを向いているのが会長
実は北新宿から早稲田通りあたりは平安時代に遡る伝承を持つ古社がいくつかあって、落合の月見岡八幡は源義家参詣と伝わるし、山手線の東にある諏訪神社は平安時代のはじめ小野篁が創建し、源頼義義家父子が武器をおさめたと伝わる。
武蔵国府と奥州道・豊島郡衙・下総国を結ぶ道筋だったのではないかと思っております。

1120:さっそくはぐれる
さっそく会長率いる先頭集団とはぐれる。わははは。はやい。
面白いもの見つけては写真を撮ったり、地図で昔はこのあたりどうだったか調べたり、暗渠に心うばわれたり、トマソンだー、廃墟だー、と喜んでは足を止めてる人たちははぐれるのである。わたしももちろん同じ。
まあ次の目的地は水稲荷とわかっているので、そっちに向かって歩けばいいだろうということで。
トマソンだー
廃墟だー
1200:水稲荷
水稲荷に到着するも先頭集団はおらず。
水稲荷は元々現在地の南西、寳泉寺の裏あたり、富塚古墳といわれる塚の上にあった。
昭和38年、早稲田大学9号館建設にあたり、現在地に遷座。
昭和30年代と昭和末の地図比較。東京時層地図より。水稲荷の移動がわかる
古墳ごと遷座したようで、稲荷の裏に「富塚古墳」が残ってるけど、
どうも丸ごと移築したようす。
富士塚(高田富士)もそのときなくなったようで、かなり残念なり。
本殿裏の富塚古墳なるも、移築したもののようだ。残念。
水稲荷の裏は江戸時代の清水邸庭園を利用した「甘泉園」として公開中。
そこで休憩していたら、先頭集団がやってきた。
先頭集団は戸山公園の箱根山に登山していたらしい。なるほど。そちらへ寄ったか。
甘泉園猫
甘泉園前で猫発見。

1310:筑土八幡
またもや先頭集団とはぐれるも、早稲田から神楽坂へ地下鉄で移動して赤城神社という予定は聞いていたので、我々は最終グループを待って電車に乗り赤城神社。そこで合流して筑土八幡へ。
もはや将門ゆかりの「津久戸明神」はないけれども筑土八幡神社。
筑土八幡は階段の上。ここの左手あたりに津久戸明神があった
ここも古くて台地の端っこ、「崎」にある神社。創建は嵯峨天皇の時代(9世紀初頭)に遡るそうな。場所的には古社があっても不思議がない場所。
さくらんぼありがとうございます。
ここで差し入れのさくらんぼを戴く。ありがたや。

1350:お茶の水から神田明神へ
神楽坂を下って飯田橋駅から総武線でお茶の水へ。
そこから神田明神参拝。
ここは有名どころなのでちょっとだけ。
いうまでもなく、平将門を祀った神社。

再びお茶の水駅脇を抜け、神保町へ。
坂下にある太田姫稲荷は工事中。その間はこれに参拝……かよ
南洋堂前でいったん解散。
三々五々昼飯を食いにいき、
時間がある人は南洋堂で東京微地形模型を楽しむ。
わたしはあれこれおしゃべりしてたら行き損ねた。
会長の手に「東京人」最新刊
集合時間ぎりぎりに南洋堂前に戻ると、何やら視線を感じる。
何事かと思いきや、
来週発売の「東京人」(古道特集)がもう南洋堂店頭に並んでいたらしい。
10冊くらいあったのをみんなで買い占めたそうな(笑)。

1545:将門の首塚
大手町のビルの間に残る首塚は有名なので割愛。
神田明神や筑土神社の旧社地もこのあたりで、江戸前島の付け根あたり。
当時は柴崎村と呼ばれていた。
海に近い寒村だか漁村だかそんな感じだったろう。

1625:兜神社
大手町から東に向かい、兜神社へ。
途中、常盤橋をわたる。
常磐橋工事中で渡れず。残念。
旧常磐橋を通ろうと思ったら、工事用のパーティションで塞がれてて行けない。
どうやら常磐橋は工事中。震災で修復が必要になったと聞いたのは2年前くらだったか
まだダメなのか。たいへん残念。
ちなみに、旧橋であり工事中で通れなかった常磐橋は明治10年、
今メインで使われてる常盤橋は大正15年。
新しい方で大正なんだからいずれにせよ古いことに間違いない。
常磐と常盤の使い分けに注意……しなくてもいいと思うけどな
ちなみに江戸通りにかかっているのは新常盤橋。
狭い地域に3つあります。

日本橋を渡って兜神社へ。兜町の兜。
神社自体は古くないが、源義家が岩に兜をかけて戦勝祈願したとも、平将門の兜を埋めた場所だともいわれてる、兜岩が残ってる。
兜神社については過去のエントリ参照のこと。
混沌の屋形風呂: 人形町から日本橋散歩

1730:銀杏岡稲荷
鎧橋をわたり、小網神社を経由して人形町から東日本橋へ抜ける。
こんな路地を通過。路地には大人数すぎ。
途中、美しいトマソン発見。超芸術。
最終目的地鳥越神社へ。
この先、先頭集団は途中から地下鉄で蔵前まで行くという。

歩きたい人は歩く。ここで徒歩組を選択。
徒歩組は柳橋を目指す。
神田川河口部にかかる柳橋。昭和4年竣工。
「マナイタ」組(東京マナイタ学会ってのもあるのだ(笑)。低地の微地形を楽しむ会らしい)は微地形を楽しむルートへ進むが、
わたしは銀杏岡稲荷経由で行きたかったので
何人かと一緒にそちらへ寄り道。
銀杏岡稲荷は、源義家が植えた銀杏が元ネタ。こちらも平安時代。
源氏一行は銀杏岡稲荷前を通り、鳥越神社へ向かったということになってる。

1745:鳥越神社
このあたりの裏路地は取り残された昭和な建築やトマソン物件がたくさんあって
カメラ好き組はなかなか前に進まない。
鳥越神社直前、ビューティー富士につかまる。素晴らしい。
最終グループで鳥越神社到着。記念撮影。
すっかり夕刻な鳥越神社
なんか一度も会長の皆川さんと歩いてないぞ(笑)。いかんなあ。
今度はちょっとくらい先頭集団についていこう。

1815:浅草橋で宴会
鳥越神社から何かして浅草橋へ。
そこで宴会組(30人以上おりました。すげー)はこの人数を収容しようといってくれた「世界の山ちゃん」へ。
ビール飲んで乾杯し、ゆっくり談笑。
こういう大人数の趣味の会合に潜り込むのって超久しぶりなので新鮮。
いろんな方とマニアックな話に興じさせていただきました。
なんて素晴らしい。

会長とどこで会ったのかと聞かれ、地図ナイトの話をする。
「まさか皆川さんがわたしの名前を知ってるとは思わなかった」といったら
「当たり前じゃないですか」と複数人に同時にいわれる。
どうもその筋の人たちはみな「東京古道散歩」をチェックしてたらしい。
びっくりするやら恐縮するやら。
普段、特にその筋の仲間も持たず、ひとりであれこれ調べたり探ったりしてたので
そういう感覚はなかったのだ。
いやはやありがたや。

20時過ぎ、一足先に辞去して帰宅。
いやあ面白かった。

movesをチェックしたら22,000歩以上あるいてた。

足が某になるはずです。いや、棒。



1 件のコメント:

Keiko さんのコメント...

おつかれさまでした!
昔、「らぱん?」と言う地図の雑誌を定期購読していたときに、北斗七星と同じように並んでいると書かれていて、ちょっとこわかったのを思い出します。
今日は寄席で富士山の山開きに合わせて、「富士詣り」がかかっていました。江戸時代の人も高山病にかかったのですね。冨士講はかなり盛んだったようですね。